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街とモノレール


久しぶりに歩く大船は雨降り。
それでも小雨になれば歩けなくはないので平助と買い物に。






懐かしの大船市場。ここも子供の頃によく来ていた場所。
建て替えて新しくキレイになっていましたが雰囲気は残ってました。


ここから仲通り商店街へ向かいます。





鶏肉専門店や





魚や野菜が並びます。キムチ屋もありました。

この通りと交わる道が仲通り商店街ですが、一旦通り抜けて





駅前の通りに出ました。見えている建物はホテルで、グレーの構造物は
湘南モノレールのレール。懸垂式なのでレールの下を車両が走ります。

この湘南モノレールも歴史が深く、大正期に大船―江ノ島―茅ヶ崎間に
鉄道敷設計画があったが、震災で頓挫、その後江ノ島電鉄に
引き継がれ、江ノ島電鉄出資で一部を自動車専用道路として開通。
バス路線として運用を開始する。自動車専用道路は日本自動車道㈱が
運営、後に京浜急行の傘下へ。
京浜急行線有料道路として運営していたそうです。
ワタシの祖母は湘南江ノ島駅の付近に住み、震災も経験しました。
祖母に京浜急行線と言うと、この道の事を思い出すと言っていました。
震災では江ノ電の線路が飴のように曲ったとも聞いています。

日本自動車道㈱が京急の傘下になったころ江ノ島電鉄から
江ノ島懸垂電気鉄道(後の湘南モノレール)へ鉄道敷設権が譲渡される。
計画としては片瀬東浜から海上を通り江ノ島内に駅を置く構想だった
そうですが、住民の反対で現在の湘南江ノ島駅になった。
江ノ島へとモノレールが走る姿も見てみたい気がしますが、
景観が失われるとも思えば、それはそれで馴染んていたのかも…
とも思います。横浜シーサイドラインのように。
(京浜急行金沢八景駅―JR新杉田を走る新都市交通。開通にあたり漁業権などの問題もあった)

歴史深い湘南モノレール、現在は住民や三菱電機等の工場への
通勤の足として不可欠な存在となっています。
買い物のために大船へ出る乗降客も少なくないでしょう。
湘南モノレールは街の発展の一翼を担う存在となっています。
それから、京浜急行線有料道路は鎌倉市と藤沢市へ
売却・譲渡されました。


もう一つ、大船でモノレールと言えば、ドリームランド線。
横浜ドリームランドへ直通するモノレールがありました。
残念ながらドリームランドもモノレールも廃業しておりモノレールに
至っては、ワタシが生まれる前に休止していて、記憶にあるのは
意味不明な橋脚とレールのみ。
(横浜シーサイドラインとドリームランド線は
また別の機会に触れます)



話は雨宿りの駅前通りから仲通り商店街に戻ります。





この辺りの八百屋で嫁が既に野菜を購入していて、ワタシの肩には
野菜を入れたショッピングバッグがさがっています。

ならばと、ワタシは魚を物色。今はやはりサンマでしょう。

でも、まだサンマの脂はキツイので、イワシかなぁと考えていたら
カマスが12尾で300円だったのでカマスに決定。

それにしても、物価がやすいですね。



大船は新旧入り混じり再開発途上かもしれませんが、歴史も深く
文化的、商業的に味わい深い街。
横浜市と藤沢市に接する鎌倉市の北西部ですが、大船市であっても
おかしくないと私は思いました。


今後の変化を、見守りたい街の1つです。







(o´∀`)b


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新鎌倉と呼ばれていたかもしれない。


久しぶりに訪れた大船。車で通ることはあっても歩くことはなかった。

車を日進駐車場に停めて何十年ぶりかに歩いてみた。





日進駐車場
近隣の駐車場の半額で停められ、商店街に近いので非常に便利。


嫁はチョイチョイ大船に来ているがワタシには思い出深い場所なので
子供の頃の記憶をたどることになった。

ワタシの大船は先日の記事のALIC日進と松竹撮影所・市場・商店街。
これらは全部大船駅東側にあり、再開発されている場所もあれば
そのまま残っている場所もある。

松竹撮影所は無くなり、鎌倉女子大に変わってしまっている。
大船駅から松竹撮影所に向かう通りが目抜き通りで突き当りに
松竹があった。松竹の門前のようにイトーヨーカドーと三越が
あったが、三越は撤退しブックオフに変わっている。
目抜き通りの松竹通りと交差点の松竹前という名前が残っていた。





大船は大正期に田園都市計画で開発された土地で、この松竹前
交差点付近にロータリーを置き、東側は放射状に道路を整備し
ロータリー西側から大船駅までは碁盤の目状に道路を整備する
予定だったが、震災や不況で頓挫してしまい、この碁盤の目状の
整備までで終わっている。
田園都市計画時は新鎌倉として宅地分譲されていたらしいので、
成功していれば大船ではなく新鎌倉と呼ばれていたか?

現在の松竹通りは当時に整備されたもので松竹と冠されているのは
後の開発を引き継いだからなのかな。

この松竹通りも大船駅東口からは北側にズレており、改めて見ると
違和感を感じる。東口を出ると目の
前は商店街で開けた感じはしない。
正面に交番があり、脇には車1台分の幅の路地がある。




交番側から東口を見ています。
写真の右下、トラックの向こう側が東口階段で正面のビルは駅ビルの
LUMINEです。撮影している側が商店街でまだ再開発されておらず、
電線の地中化も進んでいません。

交番脇の路地を抜けると広く整備された道路がその先まで延びている。
ここが芸術館通りで松竹通りの南側を並行して旧撮影所まで延びて
おり、そこには病院や三菱電機の工場があるので将来は駅前からの
目抜き通りになるのかなと思わせる。

再開発は駅と芸術館通り、駅南側のバスロータリー付近のみに
とどまっている。
子供の頃に来ていた仲通り商店街は健在で、活気に溢れていました。







買物する人の邪魔にならないよう、仲通り商店街へ行こうかね。






つづきます。




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